テーマ:音楽

《ヴィジュアルアートが…》

 ヴィジュアルアートが音楽よりもいいと思えるのは、前者だと数秒もかからずに評価ができるところだ。音楽となると数秒で評価できるものは少ない。そんなこともあって、最近はインスタグラムに少し力を入れている。形への敏感さは一見しただけでわかるし、過度な彩色で見かけを盛ろうとしているものも直ちにわかる。例えば100人の作家を評価する…
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《ショスタコーヴィチのセカンドワルツ》

 「セカンドワルツ」悲哀感漂うサックスから始まって、しかしワルツに乗って踊っているとそのうち打楽器まで入って、どこへでも踊って行ってしまえという気持ちになってゆく。諦めをこえて諦めを歓ぶような境地へ。 https://youtu.be/mmCnQDUSO4I https://youtu.be/Kjae…
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《ギボンズという音楽の星》

 こうして二通りの違った演奏を聴くと、天才というのは易しいが、それ以上に、ギボンズという人が、音楽という星座に永遠に輝く星だという言い方の方が正しいように思う。苦闘の跡も残さない。もちろん苦闘や挑戦を見せようともしない。  (そういえば今日は高島屋に「古稀記念 面屋庄甫の世界」を見に行ってきた) Franco Banderaの演…
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《神を探す》

 ヨーロッパには最も正しい神の探し方というものがある、ということを感じる。去年たまたま入ったワイマールの「イエスの心教会」でそれを強く感じたのだった。神は、正しい音楽を探すことによって、最も正しく探究されるのだ。神が見いだされるか、どこまで見出されるかは自分の演奏によって、作曲的な演奏によって、明らかに示される。なかでも、教会の…
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《シューマン革命》

ホリガーのシューマンのオーボエ曲は、このブレンデルのピアノ伴奏のもの(1980年)とアントン・ケルニャックピアノ伴奏の《灰の音楽》(2014年)のものとの二つある。私は後者の方がはるかに良いと思っている。何回か聴くとわかるのだが、ブレンデルは曲を「陽」にむかうものとしてしか構成できない(まるでベートーヴェンのように)。だが、晩年…
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《アンデルシェフスキのシューマン《早朝の歌》終曲讃》

《アンデルシェフスキのシューマン《早朝の歌》終曲讃》  アンデルシェフスキの演奏は多種多様な流れのリズムをつかみ取って複合させ、また移行させていっている。霧の流れのリズム、木の葉の細かく震えるリズム、太陽が東の空に近づいてくるリズム、水面のさざ波のリズム、そして木々の梢から雫の引いてゆくリズム、などである。この多様なリズム…
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《アンデルシェフスキのバッハとシューマン》

 このパルティータ1番も穏やかさの中に鋭さ激しさ暖かさのある緻密で真っ直ぐな演奏で音色も美しくすばらしいと思うが、アンコールにシューマンの《早朝の歌》(Gesäenge der Frühe)の終曲が、さりげなく弾かれて、それがさらにすばらしい。シューマン晩年のこんな難解な曲がこんなに自然に聴けるのは奇跡的なこ…
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《短波》

 長く使っていたオーディオ用アンプのボリュームのところで入るノイズが取り除きにくくなっていて、アンプを買い替えることにした。買ったのはパイオニアの安価でシンプルなもの。もともとダイレクトでしか聴かないので、いろいろなコントローラーは不用だ。ニ三日前からそれを使って聴いているが、却ってこういうアンプでしか聴けない音…
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《ワールドコーヒー》

 昨日夕方近く、北白川のワールドコーヒーに行った。ここのブレンドコーヒーはとてもおいしい。とりわけ最初の一口が。それで、コーヒーを待っていると、室内に小さな音でかかっているピアノ音楽が耳に入ってきた。驚いて耳を澄ます。やはりスカルラッティのソナタ(多分K.380)。これには驚いた。いままでどこかの店舗でスカルラッ…
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《旋律 ---ロベルト・シューマンに寄す---》

(写真はオルタのモンテサクロ)  ロベルト・シューマンのop.14、「オーケストラなしのコンチェルト」(ピアノソナタ第3番)の終楽章を聴いていて思うのだが、ある旋律の発見が解決になる、救済になる、という苦闘の経験を作曲家は持つことがあるのではないか? わたしたちはあまりにもメロディーに慣れ過ぎていて、そ…
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《ドメニコ・スカルラッティ ソナタ K.491》

 ドメニコ・スカルラッティの明確さ、晴朗さ、そして強さ、ソナタ ニ長調 K.491は彼の最良の曲の一つだと思うが、YouTubeで探してもなかなかお勧めできるようなものが見つからない。私はスコット・ロスのチェンバロのもの(WPCS-21069)が最良の演奏だと思っているのだが。音を濁らしても気にしない演奏者が多くて(笑)。さすがにホ…
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《ムスタキが聴きたくなる日》

 とりわけこの曲「Rien na changé」。何も変わらないのに、にもかかわらずすべてが変わってしまった…、と。福島原発事故の前のこの季節をどこかで思い出しているのかもしれない。四年が経った。 http://youtu.be/DAqjB5Xmj_w  あの原発事故以来、すべてが変わ…
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《自分の身体においてリズムを多数多様化すること》

雪の残る愛宕山 「民俗学」の採点が終り 久しぶりに写真を撮った  例えばシュトックハウゼンの《短波》を十分に聴き取るためには、自分の身体の様々な部分を演奏の中の様々なリズムに呼応して多数多様に反応させ、且つまた先端を走るまだ演奏されていない音なきリズムを思考において踏んで行かなければならない。わたしはよく左右の10…
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ギボンズ(Orlando Gibbons)といえばやはりこれから: Italian Ground

 オーランド・ギボンズ(Orlande Gibbons)といえばヴァージナルの曲が面白く、やはりグールドが弾いた[Italian Ground]の魅力が大きい。逆に言うと、グールドのフレージングの影響を超越している演奏にはなかなか出会えない。だがこの小さなクラヴィコードによる演奏はまったくグールドの演奏を超越している。こんな弾き方も…
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ウィリアム・バード(William Byrd)といったら先ずこれ

 《ゼリンガーのラウンド》と呼んだらよいのだろうか。  《Sellinger's Round MB84》  一段高いところから人生や仕事を総括するような見通しがあって、とてもよい曲だと思う(特にヴァージナルの演奏)  もちろん、踊りの曲としてもとても魅力的だ。 Sellinger's Round - An…
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昨日(9月8日)遊子庵にバイオリンを聴きに行ったこと

 昨日遊子庵にバイオリンを聴きに行った。マッハさんというチェコ生まれのバイオリニスト。後でCDを二枚買って、今日聴いていたが、クラシック畑というよりは、ダンス音楽や、チェコなどの地域色のある音楽が本領のようだ。演奏会ではピアソラのものが一番合っていたか。ともかくなかなかの達人。「ユウシアン」という自作の曲も弾いてくれた。京都風の陰影…
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O ina ni keke オ イナ ニ ケケ紹介 (ナヨアン・フランキーさんの日本語訳と解説)

前にもこのブログで紹介したことがある「オイナニケケ」。ヨナアン・フランキーさんに日本語訳をしていただくことができた。フランキーさんはインドネシア・マナド大学教員。現在国際交流基金で日本に滞在中です。数年前の「沖浦ツアー・マナド/ミナハサ地方の旅」で通訳をしてくれて、それで知り合うことができた方です。 「オイナニケケ」は以下です。歌…
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インドネシアでムスタキ

今回の旅のはじめの方のどこかで、どこかのホテルで、ジョルジュ・ムスタキの「ジョゼフ」の音楽ビデオが流れていた。バリのホテルか、パレパレのホテルか。例によってテレビをつけっぱなしで寝ていて、不意に耳に入ってきた音楽だった。インドネシア風でない音楽放送だったので、国際放送だったのかもしれない。  ともあれムスタキの「ジョゼフ」。ヨセフ…
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目下のわたしの最も大事な仕事が …… 直観音楽

目下のわたしの最も大事な仕事、シュトックハウゼンの弟子として直観音楽家としての仕事が、少しまとまりつつある。世に、これがわたし(たち)の演奏だとして示せるものが、幾つか出来た。彼の在世中にそれが示せなかったのが残念だが、しかしわたしの遺した碑といえるものができた。 世界中の音楽家の誰のどの作品でもいい。シュトックハンゼンの《短…
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カール・ニールセンさんを迎えて演奏会をした

写真:左から寺村、ニールセン、中路、中川、若尾 昨日7月8日、デンマークからカール・ニールセン(Carl Nielsen)さんを迎えてIME(直観音楽アンサンブル)で直観音楽の演奏会をした。曲目は、シュトックハウゼンの「夜の音楽」、Ivan Vinczeの「インパルス」、そしてピアニッシモ・バージョンでシュトックハウゼ…
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グレン・グールド

 車で聴くためのCDを何枚か用意しているが、ここのところずっと掛けているCDがある。グレン・グールドの弾く、ベートーベンの最後のビアノ・ソナタだ。30番、31番、32番が連続して入っている。このCDが多分一番好きだ。大井浩明さんが「以前はシューマン目線で解釈していた」と批判的に語っているのは、このグールドの解釈のことなのか、と思うが…
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岡本太郎はほんものである (1)

わたしは岡本太郎は「ほんもの」だと思っている。ほんものの鑑識眼を備えた人物、ほんものの趣味をもち、ほんものの見極めのできる人物のことだ。 わたしが彼を本物だと思うのは、二つの点に感心するからである。ひとつは『沖縄文化論』の中の八重山の歌について彼が語るエピソードによってである。もうひとつは東北文化についての洞察にかかわることだが。…
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今日、久しぶりに岩下徹さんと

今日、授業が終わって研究室への帰り道、山の上の能舞台の隣の屋上で岩下(徹)さんが踊っていた。ひとりで踊りの練習に体を動かしていたということなのだろう。あのいつもの黒い上下の練習服で。 お会いするのも久しぶりのことで、二三言葉を交わしていた。そのうち遊びたくなった。邪魔ではないというのでドラをもっきた。そして即興で遊ぶ。 私の…
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ドイツの音楽雑誌"MusikTexte" 5月号に小論文を載せてもらった

明日から花巻。その打合せで大学に行った。メールボックスにDellの宣伝冊子ともう一つ何やら黄色い冊子が。普通ならすぐゴミ箱に捨ててしまうところなのだが。  家に帰って、バッグの中を整理していると、その黄色い冊子にMusikTexteとドイツ語が書かれているのに気づいた。117号、Mai(5月) 2008。あ、あれだ、という感じ…
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ハンス・フェルスタッドさんの音楽を聴いた

昨日(2008年5月11日)ハンス・フェルスタッド(Hans Fjellestad)さんの音楽を聴いた。 京都北白川の「ビバラムジカ」(VIVA LA MUSICA)で。友人のデンマークの音楽家、カール・ニールセンさんが紹介してくれた人だ。 聴いた音楽は素晴らしい。アース・ミュージック、とか環境音楽とかいうジャンルになるのだろう…
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九月 北海道で中島みゆき

九月二十一日から二十五日まで行っていた北海道では、中島みゆきの 「人を捨てるなら九月…」という歌が通奏低音のように、ずっと頭の中で鳴っていた。 急激に冬に向かっていってしまう時の慌ただしさ。余裕がなくなってゆく心のさま。 北海道にいてやっとリアルにわかる。 わかっていた日々。 わかっていたというだけだが。 それとあの…
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