テーマ:京都造形芸術大学

《京都造形芸術大学の大学院の教科書》

 京都造形芸術大学通信教育部の大学院の教科書として『芸術環境を育てるために』とう本が平成22年3月20日に角川学芸出版から発行されていて、わたしもその一部を書いていた。第1部第2章「作られる場所2---芸術・環境・地域学」というものだ。わたしはそもそも大学院に教科書があるということに納得が行かず、むしろ学部学生に与え…
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《田村蘊の作品》

 田村蘊先生を偲ぶ展覧会「眠られない机」に展示されていた作品をじっくりと見ていた。そうすることが故人に対する一番の供養だと感じる。どれも初めて見る作品だった。そして見ていると少しずつ分かってくるものがあった。何よりも尖ったもの、具体的には円錐、三角錐、四角錐などで表現される錐形のものがもつ鋭い尖端。その鋭いもの、尖っ…
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《田村蘊先生》

 田村蘊先生が亡くなられたことを昨日初めて知った。  先生とは、私が退職する前の五年足らず、学生委員だったか、同じ委員をしていて、その場でお話しするのが初めてだった。そして作品もひとつも見たことがなかった。それ以降の付き合いだが、覚えていることの一つは入学説明会で「空間デザインの本質はおもてなし…
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《Ars Apollinaris 楓 2014年12月9日》

 これらの写真を見ていて、わたしは思いもかけない芸術理念に思い当ってしまった。それは言うならば「アポロン的芸術」。何ということだろう。わたしはこれまでディオニュソス的な芸術しか考えたことがなかったのだ。美的関心の流れの中で光の中に浮かび来るもの。それがこの芸術性格だ。---ああ、やはりアポロンを理解しなければならない。しかも生の…
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《マイマイ 2012年7月3日》

 造形大構内ではまだ時々見かけたがもうほとんど見ることがなくなったカタツムリ。  これのことはマイマイと呼ぶし、「まいまいつぶり/ろ/ら」という呼び名もあるようだ。確か『梁塵秘抄』にはマイマイが出ていたから鎌倉初期にはあった呼び名だ。この呼称、ひとがそこに「舞い」を見たからつけられた名であろう。…
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《小岩井農場へ 2012年7月8日》

 文化環境演習(花巻)で小岩井農場へ。この科目を始めた時から岡沢敏男先生のご案内で小岩井農場の見学をしていたが、この年はもっとも成功した年の一つだったと思う。天気も良かった。小岩井駅から歩いて、賢治が「小岩井農場」の詩で書いている通りの道を通って農場に入りって旧農場本部から四階建て倉…
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《陽陽館前夕照 2011年9月18日》

 京都造形芸術大学の陽陽館は大学の立地する山の東側にあって、高度も少し高く、白川通りから50mぐらいあるだろうか。  そんな立地なので夕方には時々、夕日が下から射してくることがある。これはやっぱり稀な光線状態なので、そんなときは研究室前の樹々も新鮮なとても珍しい姿を見せてくれる。  この年…
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《弘前市内から岩木山 2011年8月26日》

 環境文化演習の授業で弘前に行った時の写真と思われる。想定外の事態に対応するため津軽での授業は講義の前日に弘前入りすることにしていた。27日が講義、28日がお山参詣と山掛け。29日に下山して講評会、そんな日程。  空の色が不思議にきれいだ。岩木山は美しく頼もしい。
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《松葉掛け 2010年12月21日》

 枯れて落ちた松葉が下の楓の細枝に掛かる。しかもこんなにたくさん。---不思議だが、何か合理的な意味(目的因)はあるのだろうか?  (京都造形芸術大学構内)
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《お月見会 夕食はレストラン・ヴュルツブルクで》

 10月4日のお月見会、見学先を膳所の義仲寺にしたので、それではということで夕食はレストラン・ヴュルツブルクにした。簡単なセット料理とビール。最初の乾杯は、飲める人はみな名産の白ビールにした。---以前飲んだことがあるかもしれないが、味はすっかり忘れていて、新鮮でとても美味しかった。材料に小麦を(大麦でなく)50…
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《2017年10月4日、5日 琵琶湖で観月》

 比叡山の麓、大きく空の開けた琵琶湖畔でのお月見。昇り始めの月の淡さ。そして、はじめは気づくのも難しかった月が、力を増し、湖面を照らし、やがて夜空の主人として煌々と輝きはじめる。  思い出すべきは藤原定家の、 >終夜(よもすがら)月にうれへてねをぞなくいのちにむかふ物思ふとて の歌。  月は虫たちのう…
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《日本歌人2017年4月京都歌会》

(構内落葉、2017年4月14日京大構内)  今日(4月15日)日本歌人京都歌会の歌会があった。わたしが出詠したのは、以前(『日本歌人誌』)「2017年7月号草稿」として掲載したもののひとつを一字だけ変えたものだ。 > 時の中へみづから息を引きとりて去りにしものを掴むすべなし 「夢の中へ」を「時の中へ」に…
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《詩仙堂吟行》

 11月19日は「文学研究・歌会」の二日目。午後から詩仙堂に吟行をした。去年より10日ほど遅かったせいか、紅葉が進みとても見ごたえのある色や景色が広がっていた。あいかわらず「三十六詩仙」の詩画額に関心を向けるひとは稀だったが。ともあれ秋の庭。  11月20日は「文学研究・…
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《ひとつの詩を作曲しようとするとき》

ワイマール 1920年のある碑銘  メンデルスゾーンを育てた作曲家として知られているかもしれないツェルター(カール・フリードリッヒ)(Carl Friedlich Zelter)は、ひとつ詩を作曲しようとするときのことをこんな風に語っている(『ゲーテとの対話』1823年12月4日)。もちろん、誰かの詩、例えばゲーテの詩に曲…
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《花巻小友園》

 この家、小友園という。今日は閉まっていたが、普段は骨董品を扱う店のようだ。この建物がちょっとバランスがおかしいと教えてくれたのは通信のある学生だった。それまでわたしは一度も気づいたことがなかったのだが。その学生ははじめてその前を通っただけでその異様なさまに気づいたようだ。大したものだ。そんな風にわたしは…
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《フリードリッヒ・ニーチェの永遠回帰の思想》

 昨日今日と(やっとつける時間がとれて)「哲学」のスクーリングのレポートを採点していたが、今回は、永遠回帰の思想の恐ろしさを、如実に感じたということを示してくれたレポートが何通かあった。こんなことは私が記憶する限り初めてのことだ。だからそれについて、その恐ろしさについて、きちんと書いておきたいと思っている。そのほ…
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《何か 春》

 何か。 Quelque chose. 言ってしまえば浅い、ほんの少しの春。 そんな光りがあった。 「単位修得試験」の採点結果を事務局にもって行く途中。見かけたひかりの景色。 (大学構内 写真8枚)
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《2014年8月24日 去年お山参詣で》

 宵待草。大好きな花だ。この黄色い花には小学生の頃から親しんでいた。当時は竹と凧糸で作った弓につがえて射るための矢として。それで電線のスズメを狙ったが、一度も当たらなかった。---以来、花に疎いわたしにも親しい野の花だった。  去年(2014)はずいぶん久しぶりに8月中に八朔を迎え、岩木山お山参詣を迎えた。レッツウォ―クお山参詣の…
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《学園葬》

 昨日京都造形芸術大学春秋座で徳山詳直前理事長の学園葬が行われ、参列した。冒頭の松平定知さんの朗読「京都文藝復興」に強い感銘を受けた。何度も読み、聞きしているこの文章だが、この度の朗読は、かつてなく、隅々にまで厳しいまなざしの加えられた朗読だった。そこから見えて来たことがあった。  理事長は優れた戦略家だった。だがその戦いは、世の…
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《無明紅葉 京都造形芸術大学の「楓」---2014.12.9》

 楓(かえで)の写真25枚。松麟館へゆく手前に、南~南西から光の射す所があって、樹木の葉や幹に、深い陰影を与えてくれる。昨日たままたカメラを持って本部の方へ行っていて、食後、ここを通りかかる時、美しく、世間では今年の紅葉狩はもう終ったとみなされている時期になっていても、やはり心が残り、撮っていた。マクロ系のレンズももっていたので、一…
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《地域芸術生活発信研究》

冬の光  「地域芸術生活発信研究」というような講義科目を創設できないだろうかと去年考えていた。芸術の主体を、人間というよりはむしろ地域の方に置いて、芸術を考えてみようという科目だ。あるいはタイトルは少し違って、「地域日本文化発信研究」と名づけていたかも知れない。まずは地域に住んで経験できることの多様性を発見・発掘するこ…
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《君あしたに去ぬ》

 徳山詳直(京都造形芸大)前理事長の学校葬が12月12日に催される。昨日はなぜか私が蕪村の「北寿老仙を悼む」をそんな場で朗読しているさまをぼっと思い浮かべていた。「君あしたに去ぬ 夕べの心千々に何ぞはるかなる」からはじまる詩だ。多分何も見ずに朗読できる。「わが庵の阿弥陀仏 水もものせず 花もまゐらせず すごすごとたたずめる今宵はこと…
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《通信教育部スクーリング哲学講義補足資料---『監獄の誕生』》

 今日学生に補足資料として配布したものを再録しておきます。田村俶の翻訳(新潮社,1977年)ではとても理解ができないであろうと思う重要な箇所を補足説明するために配った。(私のブログなので私の氏名だけは省いておく)  (授業ではこの修正に関してさらに豊富に説明しています) 『監獄の誕生』補足資料      京都造形芸術大学…
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《詩仙堂》

 「文学研究(短歌)」の授業の吟行で詩仙堂に来ていた。今日はとてもよく庭が見れた。白い花首が白砂の上に落ちていた。花首で落ちるのが椿。だからそれは椿。山茶花は一枚ずつ落ちる。  途中から「古仏」という言葉が離れなくなった。道元の山水経の中の言葉。「而今の山水は古仏の道現成なり」。庭に古仏を探した。  見つけた。  (写真17枚…
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《徳山詳直前理事長を悼む》

黄の花を野に咲くままにまゐらせん  徳山詳直前理事長(瓜生山学園)が10月20日10時30分に逝去されたという報が届きました。通夜と葬儀は身内だけで執り行われたそうです。12月12日に学園葬の予定ということです。満身創痍の話しをして下さったのが直接お話しした最後の機会になりました。冥福をお祈りいたし…
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《アサギマダラが指に止まった》

 大学の研究室の前にアサギマダラが来ていて、写真を撮った。ドアを開けても逃げない。それで撮り続けていると、一瞬だが私の指に止まった。シャッターを押す指の爪のあたりに。何という幸運! そう思っていると、また止まりに来てくれた。今度はもう少し長く、2~3秒。  だいぶ疲れて、休憩に来ていたようだ。どこから飛んできたのか。 …
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《久高島お月見@徳仁港、ピザ浜&交流館》

 9月8日の夜のこと。9時から徳仁港の方へいって造形大のお月見会をした。テーブルにススキを立てるだけ月見らしくなる。10時半ぐらいまでそうしていただろうか。そこでまず一次会を解散した。それから希望者で「イシキハマ」へ。行った所はどうやら「ピザ浜」と呼ばれる磯浜だった。ちょうどベンチのような場所があってそこで六人、長いこと座って、月光…
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《さらば津軽と…》

 8月25日午後、三日間の授業を終え、さらに私の感じるもっとも恐ろしく津軽的なものを数人の学生と今回も授業の手伝いをしてくれたSAに伝えるべく、十三湖近くのある神社に案内した。ここに初めて、たまたま立ち寄った時から、もう25年が経った。その後その時の一人が死んだ。  今回連れて行った人たちの誰が、何ほどのものを感じ…
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《いかにも確かに継起するもの》  (哲学コラム4)

 岩手県、小岩井農場の上丸牛舎構内に、宮沢賢治の「小岩井農場 パート1」から取った詩の四行が刻まれた詩碑が建っている。その詩は次のものだ。 > すみやかなすみやかな万法(ばんぽふ)流転(るてん)のなかに > 小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が > いかにも確かに継起(けいき)するといふことが > どんな…
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