テーマ:神の死

《おかしな人間(der tolle Mensch)の語ること FW,125 ニーチェを読む(1)》

《おかしな人間(der tolle Mensch)の語ること FW,125 ニーチェを読む(1)》 ◇ ◇ ◇ はじめに  ニーチェが神の死について語った最も基本的なテキストである『喜ばしい知の技』(Die fröhliche Wissenshaft)125番のアフォリズムの中から、主人公として…
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《神の死の体験: 『ツァラトゥストラ』を読む(4-2)承前》

 先にわれわれは『ツァラトゥストラ』第三部の「幻影と謎」の章で、「無底への落下」が語られているのを確認し、それが神の死の体験と考えられることを指摘した。これは今まで指摘されたことのない観点であった。われわれはここでさらにニーチェが「神の死」を語る代表的なテキストにおいて、ニーチェにおいて神の死が無底への落下として体験…
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《神の死の体験: 『ツァラトゥストラ』を読む(4)》

 『ツァラトゥストラはこう言った』第三部の「幻影と謎」の中にこういう表現がある。 >おお、ツァラトゥストラよ! 知恵の石よ、石弩(いしゆみ)の石よ、人びとの仰ぐ星の破壊者よ! あなたは、あなた自身をかくも高く投げた、---しかし投げられた石はすべて---落ちる! (氷上英廣訳、岩波文庫;一部変更、以下同) > “…
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《ツァラトゥストラとこびとの対決 『ツァラトゥストラ』を読む(3)》

 『ツァラトゥストラ』第三部2の「幻影と謎」の章は、ニーチェがもっとも強い決意をもって書いた一章だと思うが、言語と文章力の限界を超える試みがなされているように思う。いままで語られたことのないことが語られているのだ。だがこの章の読みかたをよく分かっていないひとがまだ多くいるように思う。ハイデガーもまだ十分ではないが(N…
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《半歩先、一歩先、もっと先》

 世の中、半歩先のことを言う人は感心され、尊敬される。半歩先を言うためには、すでに言われていることを器用にアレンジするだけでよいのだ。だがほんとうに一歩先のことを言うと排斥され、侮蔑され、石を投げられる。真実には必ず本質的に耳に痛いことが含まれているからだ。変わらなければならない、というメッセージがあるからだ。そしてさらに二三歩先の…
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《哲学講義終了 11月30日》

 一昨日の11月30日、三日間の集中講義が終った。三日目の日は、希望者が多かったので、予定を変更して《去年マリーエンバートで》を見ることにした。ロブ=グリエ原作のアラン・レネの映画。断片を繋いで、本当は何が起こったことなのか、分からないまま、しかし次の行動に移ってしまう二人が入り込む迷路はどういう場所なのか、という問題。…
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神の死について考えるために(1)

 神の死について考えたい。しかし、問題を明確にしておかなければならない。神も、神々も、それをわがものとする力に応じて多様であり、神の死も神々の死も、同じく多様である。だが神の死の問題として重要なことは多くない。それは、ある決定的な歴史の分岐、ないしは切断の点として、重要なのである。神の死によって死んだもの、それはまず第一に人間のある…
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当て逃げ、今日も

 今日は左京区役所に固定資産税を払いに行っていたが、車に戻ると、右前側が少し凹んでいるのに気がついた。左前側の、バイクに当たられた所も凹んだままだが、健全だった右側も凹まされて、ちょっとショックだった。いつも当て逃げ。一昨年原付きバイクに当てられた方は、当てた人物も分かっているが、相変わらず音沙汰も無く、頬っ被りしたまま、当て逃げも…
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今日同志社で出した問題 ヘッセの「神の死」

 今日同志社で試験に出した問題(「ドイツ語応用」)。ヘルマン・ヘッセの「Im Leide」という詩。特に難しいことはないものだが、受験者全員よくできていた。問題はむしろヘッセの思想の方だ。詩の最後の聯でヘッセは「--- Ach, Gott ist tot!」と言う。だがその後「Und ich soll leben?」だ。  このヘ…
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