テーマ:ニーチェなう

《裏の密林》

 ある確認のために『ニーチェ対ワーグナー』を読んでいたせいか、ふと『カルメン』のある旋律が浮かんできて、これはどのシーンだったか確かめたくなって、CDを聴き出した。わかっているのだが、主人公のドン・ホセの母がいて美しい婚約者のミカエラのいるバスク地方の故郷への郷愁を掻き立てる曲なのだが。ビゼーはこ…
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《『ツァラトゥストラ』を読む(1) 第三部から》

 『ツァラトゥストラ』第三部のここのところを訳してみよう。箇所は『ツァラトゥストラ』第三部1「Wanderer(放浪者)」の第二段落から。ツァラトゥストラが自分を放浪者」であり「山に登る者」であると自己規定するところからである。  テキストは以下: > Ich bin ein Wanderer und ein…
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《グリューネヴァルト2016年3月15日》

 イタリア旅行の中でベルリンに行っておこうと思ったのは、一つにはグリューネヴァルトを見ておこうと思ったからだ。もうひとつはペルガモン美術館を見ておきたかったから。グリューネヴァルトはニーチェが1882年の共同生活の候補地と考えていたところだが、いざ行って見るとニーチェ…
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《モンテ・ローザ》

 2016年3月10日。もう3年も経ってしまった。モンテ・ローザはノヴァーラ辺りからでも見える山だが、このオルタ湖の南端から山越しに見える姿が鮮烈だった。ニーチェもこの白いモンテ・ローザを見たのだろうか? モンテ・サクロからは見えなかったので、多分ニーチェは見ていない。彼がこのあたりにいた5月初め(1882年)でも姿は…
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《ニーチェの『道徳の系譜』II-3の部分訳》

 先日某大学のドイツ語応用の期末テストに出した文章とその拙訳を紹介します。「《負い目》《やましい良心》その他」(»Schuld«, »schlechtes Gewissen« und Verwandtes.)と名付けられた『道徳の系譜』(Zur Genealogie d…
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《ニーチェの「墓の歌」》

 ニーチェのこんな表現はどうだろう。『ツァラトゥストラはこう言った』第二部の「墓の歌」(Das Grablied)の中のものだ。 > …meine Feinde! Machtet ihr doch mein Ewiges kurz, wie ein Ton zerbricht in kalter Nacht!…
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《ニーチェの『喜ばしい知の技』125番の紹介》

 "Der tolle Mensch."というタイトルの"Die fröliche Wissenshaft"の第125番のアフォリズムを紹介したい。と言ってもここで紹介するのは、上記アフォリズムのグーテンベルク・プロジェクトによって公開されているドイツ語原典の全文と、その後半部分の拙訳である。部分訳にとどめ…
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《精神とは何か? ---ニーチェ読解》

  わたしが問題にしたいのはニーチェが精神(Geist)をどう把握していたか、その特異な捉え方である。それについては何よりも重要なのは『ツァラトゥストラはこう言った』第二部の「名高い賢者たちについて」で述べられていることである。その説の前提として語られるのは、名高い賢者たちは、ぼんやりした(blöde)目を…
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《名誉通貨》

 「名誉通貨」と言うべきものについて考えねばならないのではないだろうか。ドイツ語を交えれば「Ehr通貨」とでも言うべきものを。『ツァラトゥストラ』II-8の「高名な賢者について」の節は、「賢者」と民衆の間の「ehr」の向け合い、振り分けごっこについてのこの上なく鋭い批判になっている。それは「ehr」という語成分を含む幾つ…
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《発車:2017.8.6 シルス・マリーアへ行く》

ホテル・マリーア ◇  10時7分、発車した。予定通りの8番線から。天気は曇り時々雨。晴れ晴れしい感じではない。それにこの車両、インターシティーエクスプレス(ICE)なのにPCの電源がとれない。座席指定でもない2等車だからだろうか?ともかく今までICEで使える電源がなかったこと…
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《ニースに行きたくなってしまった》

 ニーチェは『ツァラトゥストラ』の第三部を1884年冬のニースの静穏 (halkyonisch) な天の下で見出し、そして完成させた。ニース近郊のさまざまな場所や丘を一日7、8時間も歩きまわって疲れを知らなかったという。---やはり行っておきたいと思う。この時期、一月二月のことだろう。Googlemapを見ているとEzaの岩城…
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《2017.8.5 チューリッヒ夕方》

 夕方、仮眠から覚めて、かねてから探していたマウスを買いに出かけた。そのためには誰かから情報をもらわなくてはならない。お値打ちの(preiswert)PC用のマウスを買えるところはないか? 教えてくれとお願いしたのは、宿の受付のおねえさんだ。コンゴの出身だということを昨日誰かと話していたひとだ。ここの受付のおねえさんはみな友好的…
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《トム・シュルツさんから詩を献呈していただいた》

荷車(2016.8.19、タウテンブルクで)  トム・シュルツさんはドイツの詩人、文筆家、8月の旅行で出会った。その場所はナウムブルクの「アルト・ナウムブルク」というレストラン。夕食の時、席が空いてなかったので同席させてもらったのが縁。話が弾み、とても楽しい夕食だった。彼はザーレ川のあたりのブドウ園に行ってごらんと薦め…
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 《『ニーチェの馬』---これは一体どこの生活習慣?》

 この『サクリファイス』(タルコフスキー)の二番煎じのような映画をわたしは好まない。2011年ハンガリーの作品。監督はタル・ベーラという。第61回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品だという。国際批評家連盟賞も受賞しており、いわば鳴り物入りで評論家たちの頭の中をかけまわっている映画だ。しかし少しも面白くない。   しかし見るところがな…
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《メッシーナ・オレンジ あるいは カターニアの宮沢賢治》

 1882年4月20日づけの手紙の中でパウル・レーはニーチェに次のように書いている。  「親愛なるメッシーナ男へ!   いとも美しく、樹液豊かで、よく整地されたメッシーナ・オレンジの畑よ、万歳! そしてそこのオレンジの木々が落とすただひとつの影の面が、実在しますように! そんなことがありうるんだね! 大兄はこの行…
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 《ジェノヴァ1》

 ニーチェはどうしてジェノヴァから、突然メッシーナに向かったのか? この海の写真を見ていると、その答えがなんとなく見えてくる気がする。シチリアはまっすぐこの先にある、という感覚。試してみたくなる気持ち。  そこにもう一つ、コロンブスから学んだ冒険への意志。  そうしたものではないのか? ====…
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《ニーチェから賢治へ ---献身と計算》 レジュメ--- 退任特別講義「哲学の時」

《ニーチェから賢治へ ---献身と計算》 レジュメ 退任特別講義「哲学の時」 2015年3月21日 京都造形芸術大学人間館NA412 第一部:ニーチェの語る「神は死んだ」という不思議な事件 1.ニーチェはそれをどう語っているか?  a. 自覚することなく彼らは神を死なしめた:神を死なしめること、それはかれら…
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哲学コラム5  神の視線と草木虫魚

 「哲学」の講義では、毎年ニーチェの「神の死」の概念を語るために『悦ばしい知識』の序文の次の語りを紹介している。 >「神さまが何もかも見ていらっしゃるというのは、ほんとう? ---と幼い少女が母親に訊いた、「---ずいぶん失礼じゃない」(氷上英廣訳) この「ずいぶん失礼じゃない」と感じることで神は死ぬ、とニー…
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